2009年1月21日 (水)

週刊現代 ナナ氏=豊崎由美

正直書評。 Book 正直書評。

著者:豊崎 由美
販売元:学習研究社
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そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド Book そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド

著者:豊崎 由美
販売元:アスペクト
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勝てる読書 (14歳の世渡り術) Book 勝てる読書 (14歳の世渡り術)

著者:豊崎 由美
販売元:河出書房新社
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百年の誤読 (ちくま文庫) Book 百年の誤読 (ちくま文庫)

著者:岡野 宏文,豊崎 由美
販売元:筑摩書房
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週刊現代の書評欄に月に一回ナナ氏という匿名書評が載っている
ナナ氏はどうやら豊崎由美のようだ。
もちろん豊崎のほかにもう一人いるかもしれないが。

もともと豊崎が書いているのではと疑われていた
それはナナ氏の書いている内容が、大森望、豊崎の対談で出てくる話ばかりだったことによる
また、貴志祐介「新世界より」を評した豊崎のブログの内容とナナ氏の書評の内容がほぼ同じであった
というのは非常に怪しい

http://d.hatena.ne.jp/bookreviewking/20080215/1203060476
内容が同じで男言葉にしてるだけである

共通点
1貴志のことをそれほどとは思っていなかった
2しかし「新世界より」は傑作
3直木賞候補について触れる
4大きな世界に世界観があると主張している

現代のナナの書評と、豊崎のブログの内容がおなじであった


大森望もナナ氏を豊崎だと疑っていた

大森mixiより

「ナナ氏の書評 2009年01月12日05:23
週刊現代の月イチ匿名書評、最新の1/24号は直木賞予想。
トヨザキ社長はぜったい書いてないとついこないだも強く主張してましたが、これはどう見ても
豊崎由美でしょう。◎が『利休にたずよねよ』、○が『カラスの親指』だし。
だいいち、『きのうの世界』を「恩田SFの集大成」なんていう人はほかにいません。
これが別人だったら盗聴器かスパイの存在を疑うしか(笑)。」

つまり、「恩田SFの集大成」という言葉をまだ公開されてない直木賞予想対談で豊崎が
使ってるんだろうと想像できる。

そりゃおかしいと思うわな

実際公開された対談はこうだった

http://web.parco-city.com/literaryawards/140/r4_02.html

>豊崎 まったくです、恩田さんへの嫌がらせかと思いました。かわいそうすぎます。で
も、この小説自体は恩田SFの集大成ともいうべき傑作ですよ。


大森との対談で「恩田SFの集大成」と評して、匿名書評でも「恩田SFの集大成」と
同じ表現を使ってしまう間抜けさ

ナナ氏が豊崎だと証明された

他に一人いそうだが

2009年1月 9日 (金)

福田和也っていう馬鹿が若島正を読んで勉強してる

福田和也の無知については以前指摘した
この人のでたらめさはいつものことだが、文学についての発言を見ていると明らかに若島正を読んでいることがわかる。

若島がグレアム・グリーンを絶賛していると、最近はグリーンが大好きだといって
「新潮45」「SPA」「週刊新潮」で語りだすし、
若島がジェイムス・ジョイスの作品について「いろいろな読み方があるが、これを面白く
読もうとすると、要するに物語外の要素を持ち込む必要がある」という文章を書いていると
早稲田文学シンポジウムで「物語の外から持ち込むという点で弱いんですね」なんて
そのまんまぱくるし、
「SPA」でトルストイと話題が出ると、若島が「立体的な大パノラマ」と評してるのをぱくって
「要するにパノラマですよね」って言い出すし

ほかにも若島がナボコフについてコンピューターで語彙の頻度を調べる研究を
してるのを読んで、「週刊現代」の「平成フラッシュバック」でコンピューターでの
語彙の頻度を調べる研究などがあるなどと書くし
「SPA」のノーベル賞の話題で、若島がフィリップ・ロスの作品について、避妊具の
何かを最初に書いた文学だと書いてるのを読んで、ちょっとひねって「世界初の
バイアグラ文学という面もあるよね」というし
若島がトルストイの偉大さについて、その複眼性をいい、視点の移動の自在さを
褒めると、「新潮」連載の「わが戦前」で江国香織を評するのに「その視点移動の
自在さが意識されないほどに見事」とか言い出す。

つまりこういう人間だということだ。

ディフェンス Book ディフェンス

著者:ウラジーミル・ナボコフ
販売元:河出書房新社
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乱視読者の英米短篇講義 Book 乱視読者の英米短篇講義

著者:若島 正
販売元:研究社
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ロリータ、ロリータ、ロリータ Book ロリータ、ロリータ、ロリータ

著者:若島 正
販売元:作品社
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乱視読者の新冒険 Book 乱視読者の新冒険

著者:若島 正
販売元:研究社
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社説 ことしの世相 手を携えて凍えを解こう

職に就けない大卒男性の奔走を描いた小津安二郎監督の無声映画「大学は出たけれど」が公開されたのは一九二九年、世界恐慌の年だった。

 いま、「大学を出る前に」就職の内定が取り消されている。

 工場は閉鎖され、働く場は奪われ、平穏な暮らしへの願いは、引きちぎられる。私たちは、歴史的な猛吹雪のただ中にある。

 この一年で、株価や為替、原油価格などを示す折れ線グラフは、遊園地のジェットコースターの軌道をなぞるように急角度を描いた。その変動ぶりに目がくらみ、立ちすくむ。

 深い失墜感の中、年が暮れようとしている。

*決壊を食い止めねば

 夏の「アキバ」の交差点。現代の日本を象徴する東京・秋葉原で、惨劇は起きた。暴走するトラックとダガーナイフで七人の命が奪われた。

 元派遣社員の容疑者の「ネットで無視された」「誰でもよかった」との供述は他者の理解を拒絶する。

 元厚生事務次官宅への連続襲撃事件も、動機は「保健所に殺された愛犬の敵討ち」だった。

 深い孤独と周囲への強い敵意がざらりとした存在感を残す。

 不条理な殺傷事件の連鎖を予見した小説「決壊」の中で、作者の平野啓一郎氏は主人公にこう語らせる。

 「結局、遺伝と環境の不公平はどうにもならない。最初から与えられている人間のようにはなれない」

 首都圏などで、米国を模して周囲に塀を巡らし、入り口に「城門」を設けたゲーテッド型と呼ばれるマンションが売れている。安全、安心を買える層と、その他の層との間に、越えがたい壁が築かれつつある。

 七十五歳以上のお年寄りは、後期高齢者として切り離された。

 年金記録の組織的改ざんは社会保障への信頼を根底から揺るがした。

 億単位の生活保護費を詐取した滝川の夫婦に実刑が言い渡された。悪意に毅然(きぜん)とした態度をとれなかった市役所は、国への返済という重いツケを払わされる。

 振り込め詐欺集団が暗躍し、息子や娘と離れて暮らす老夫婦の孤独につけ込む。耳が聞こえないふりをして、身体障害者手帳を不正に取得する。寒々とした土壌を憂う。

 大学生や高校生にまで、大麻汚染が広がった。大分県教委では、校長や幹部職員の間で汚職が慣習化していたことも発覚した。

 社会のきしむ音が聞こえる。決壊を食い止めなくてはならない。

*立て直しの知恵紡ぐ

 中国製冷凍ギョーザによる中毒事件や産地偽装-。食の安全も脅かされ続けた。カビや農薬で汚染された事故米が野放図に流通し、国の無責任体制をあぶり出した。

 危機のときこそ国民を救う責務がある政治は、無為に時を過ごした感がある。二年連続の首相の政権投げ出しという異常さも、既視感の中に消化されていく。

 ぐらつく政治のすきを突くように、航空自衛隊の制服組トップが日本の侵略戦争を正当化する論文を公表し、文民統制が問われた。

 スタンピード現象という言葉がある。家畜集団が狼狽(ろうばい)して同じ方向にどっと疾走するさまをさす。株価の暴落も投機資金が市場から一気に逃走して起きた。

 だが、庶民は日々を生きることから逃げ出すわけにはいかない。

 敗戦を上海で迎えた作家武田泰淳は、滅亡はより大きな知恵の出現につながるといった。

 苦境を嘆いてばかりはいられない。サブプライムローンという浅知恵は破たんした。暮らしを立て直すための知恵を紡ぎ出そう。

 洞爺湖に集った世界の首脳が確認した地球を守る誓いを本当に実現できるか。難しい宿題も残っている。

 アイヌ民族は先住民族だと国会が決議した。権利回復を確かなものにするのはこれからだ。

*「共感」を手がかりに

 一度に四人の日本人科学者がノーベル賞を受賞した。北京五輪では、柔道の上野雅恵選手の連覇を含め、道内勢が四つもメダルを獲得した。

 輝く笑顔にずいぶん励まされた。

 日本ハムのパ・リーグ王者返り咲きとコンサドーレ札幌のJ1復帰は、来年の楽しみにしたい。

 この冬、登別に一軒の「地域食堂」が店開きした。町内会有志が運営し、主婦が手作りした料理を五百円以下で出す。温かな食事を仲立ちにお年寄りと子供の会話が弾む。

 理事長の対馬敬子さん(60)は「もうけはないの。でも、私たちも元気をもらえますよ」と笑う。同じような地域食堂は道内で十軒を数える。

 経済学者の堂目卓生(どうめたくお)氏は、「国富論」で自由競争の効用を唱えたアダム・スミスのもう一つの名著「道徳感情論」に着目する。

 その中で、スミスは他者の幸せを自分にとっても必要なものと感じる「共感」こそが、社会に幸福をもたらすと説いた。時を超え、いまに生きる思想だろう。

 穏やかに、根気よく、凍えた世界をほぐす風を吹かせたい。 北海道新聞

決壊 上巻 Book 決壊 上巻

著者:平野 啓一郎
販売元:新潮社
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決壊 下巻 Book 決壊 下巻

著者:平野 啓一郎
販売元:新潮社
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本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書) Book 本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

著者:平野 啓一郎
販売元:PHP研究所
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ウェブ人間論 (新潮新書) Book ウェブ人間論 (新潮新書)

著者:梅田 望夫,平野 啓一郎
販売元:新潮社
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ディアローグ Book ディアローグ

著者:平野 啓一郎
販売元:講談社
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2008年12月28日 (日)

張競・評 『日時計の影』=中井久夫・著

臨床瑣談 Book 臨床瑣談

著者:中井 久夫
販売元:みすず書房
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日時計の影 Book 日時計の影

著者:中井 久夫
販売元:みすず書房
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治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫) Book 治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)

著者:中井 久夫
販売元:岩波書店
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Book 精神科治療の覚書 (からだの科学選書)

著者:中井 久夫
販売元:日本評論社
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◇文章の奥底に流れる細やかな「情」の水脈
 中井久夫の本を読むと、いつも不思議に引き込まれてしまう。ほんらい専門がまったく違うし、精神医学は自分の個人生活からもほど遠い。だが、その本に接すると、思いもかけないことを教えられ、はっとさせられることがしばしばある。

 この最新のエッセー集は多彩な内容からなる。精神医学に関する文章あり、人物の回想と過去の追憶あり、日々の随想や文学論あり、さらには訳詩も収録されている。扱う内容は一見ばらばらのようだが、意外にも互いに照応していて、巧(うま)く調和が取れている。精神科医としての仕事や文筆活動の幅広さを示すと同時に、若い頃(ころ)からの思索の道程を振り返る構成にもなっている。ただ、それは時系列ではなく、過去と現在を自由に往還するなかで、その医療思想がどのように醸成されたかが示されている。

 精神医学のことについて語りながら、文章のいたるところに哲学的思考がきらめいている。統合失調症、心的外傷後ストレス障害から認知症にいたるまで、精神的な不調や疾患を孤立した事象として見るのではない。人間の精神と身体を一つの統一体としてとらえ、他者との関係性において観察する。健常と異常をはっきりした一線で区分するのではなく、両者のあいだの連続性もつねに視野に入れている。

 その仕事ぶりを見ると、何となく東洋の学問が想起される。江戸時代の日本でも、清代以前の中国でも医者は同時に儒者でもある。中井久夫も医者であると同時に、翻訳家であり文筆家でもある。狭い専門知識にとらわれず、より広い目、優しい目で人間を見る姿勢は人文学の厚い素養と寛容な精神に裏打ちされたものであろう。

 中国には「病いを治すには先(ま)ず心を治すべし」(治病先治心)ということわざがある。心の治療とは患者の信頼を得ることであり、自信と希望を持たせることである。「患者の自尊心」や「自然の治癒力」を重視する中井久夫の学説はまさにそれを理論化したものといえる。精神科にかぎらず、医療全般にとって必要な知見だと思う。

 おそらく情の厚い方であろう。認知症についての、「『知』はおおまかになっても『情』と『意』は残る。『情』がいちばん最後まで残る」というくだりを読んで感動すら覚えた。近代医学では誰も注意を払わなかったが、中井久夫の医療思想の特徴として「情」に対する注目が挙げられる。

 「建物は正面だけでよいか」という文章のなかで、教育における「情」の大切さを指摘した。国数理社英の五教科が建物の正面とすれば、家庭科と図工など「情」を表現する「実技教育」は建物の側面である、正面ばかりの家は立っておれまい、と喝破したところはいかにも中井久夫らしい。

 そういえば、知人や友人の回想録が情感に富んでいるのは、「情」を大切にする心のあらわれなのであろう。その文明批評が肯綮(こうけい)にあたり、非常に説得力があるのも、文章の奥底に細やかな「情」の水脈が静かに流れているからである。

 文学好きの一人として、ギリシャの詩人オディッセアス・エリティスの訳詩に出会えたのはうれしい。エーゲ海の日射しを思わせるような激情が典雅な日本語で巧みに再現されている。「ヴァレリーと私」は甲南高校の時代にさかのぼって、このフランス詩人との出会いを語って面白い。ポール・ヴァレリーの訳詩とともに著者の精神世界の一端を知る手がかりになっている。

五百旗頭真・評 『米欧同盟の協調と対立…』=渡邊啓貴・著

日米関係史 (有斐閣ブックス) Book 日米関係史 (有斐閣ブックス)

著者:五百旗頭 真
販売元:有斐閣
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米欧同盟の協調と対立 --二十一世紀国際社会の構造 Book 米欧同盟の協調と対立 --二十一世紀国際社会の構造

著者:渡邊 啓貴
販売元:有斐閣
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ポスト帝国―二つの普遍主義の衝突 Book ポスト帝国―二つの普遍主義の衝突

著者:渡邊 啓貴
販売元:駿河台出版社
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◇五百旗頭(いおきべ)真・評
 ◇『米欧同盟の協調と対立--二十一世紀国際社会の構造』
 (有斐閣・2625円)

 ◇深く結び、深く対立する歴史と現在
 小泉内閣が二〇〇一年四月に生れた翌月であったと記憶するが、東京で日独ワークショップがあった。もちろん九・一一テロが起る前である。外交政策を雄弁に語るドイツ人学者が、ブッシュ新政権への憂慮を口にした。彼はワシントンを訪問し、新政権の要路やとり巻き達と話す中で、異星人と対するような思いにとらわれたという。ヨーロッパから見れば、21世紀を迎えた世界の中心問題は、地球環境や感染症など国境をまたいで共同で対処すべき「挑戦」である。だのに、ワシントンの新政権は、「敵」だの「脅威」だの古いパワーポリティックス(力の政治)の概念に支配され、風車を敵と見誤って突撃するドン・キホーテを演じるのではないかとの危惧(きぐ)を禁じ得なかったというのである。

 当時はまだネオコン(新保守主義者)の存在は注目されていなかったが、チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官など筋金入りのタカ派が要職を占めていた。とはいえ、パウエル国務長官は軍事的愚行を許す人ではないし、「思いやりある保守主義」を掲げるブッシュ大統領ではないか。めったなことはあるまい。むしろヨーロッパにも問題があるのではないか。冷戦が終結し、ソ連が消失した後、欧州は軍事的脅威から解放された。その結果、環境など世界共通の問題が圧倒的な関心事となった。欧州はそれでよいが、世界にはまだ伝統的脅威も厳存する。日本の周辺にも力をもてあそぶ北朝鮮があり、中国の台頭がある。日本単身でそれらに対処できるものではない。北東アジアの危機に欧州は関与しないが、幸いにもアメリカは強い関心を持つ。アメリカまで欧州と同じく、伝統的脅威から卒業されては困る。アメリカには伝統的脅威と地球的挑戦の双方について、しっかりリーダーを務めていただかねばならぬ。そう私は感じていた。

 本書は、米欧間の歴史的な協調と対立の関係を論ずる。もともとアメリカはヨーロッパの生んだ子であった。子供はぐんぐん成長し、親に対して独立を宣言した。図体は大きくなったが、まだまだ知恵の足りぬ未熟者でね、と上から見下すような言辞を好む欧州であった。しかし20世紀の二度の大戦では米国の来援を仰がねばならず、第二次大戦後は超大国ソ連の脅威の下でアメリカのみが生存のよるべであった。米国の抑止力(ソ連の中枢を撃破する能力)による安全保障体制NATOを受容した西欧であった。

 米国優位の同盟を西欧は生存のために必要とした。キリスト教を起源とする西洋的価値を欧米は共有し、世界秩序への責任感すら共有する。欧米の協調は日本人が思っているよりも、はるかに根深い。それでいてヨーロッパは、米国の一方的支配を許すことができず、米国の優位に対してすら穏やかであり得ない。西洋文明の老舗としての誇りと英知から見れば、アメリカの賢慮を伴わない行動力に対して一言説教せずにはおれない。フランスを中心に欧州が誇りと自立性を失わない限り、米欧の対立もまた日本人が思っているよりも根深いのである。

 著者はフランス政治の専門家である。日本にあってアメリカへの関心は強いが、ヨーロッパは遠い。しかしアメリカがグローバルな決断をする時に議論するのは、日本よりもヨーロッパである。イラク戦争の開戦をめぐる国連での米仏の激しいやりとりは、その最たるものである。著者はその時期ワシントンに滞在し、米欧激論を最前線で観(み)ることになった。米欧は何に結び、何に対立するのか。深く結び、深く対立する米欧に対して、日米は何なのか。日本の安全にとって米国が重要であることは当然としても、対米協調路線を表明する以外に日本はやることはないのか。米国と結び、対立する内容が日本には存在しないのか。本書は、欧州を専門とする日本人が書いた米欧関係論としてユニークである。

 本書の中心は九・一一以後の米欧関係であり、とりわけイラク戦争をめぐる相剋(そうこく)である。

 当然ながら、九・一一後におけるネオコンの台頭が問題視される。世界の民主化を米国の使命とし、米国の単独行動と先制戦争を是とするネオコンがブッシュ政権内で支配的とならなければ、イラク戦争も米欧破綻(はたん)もなかったであろうか。といって、本書は欧州の側に一方的に立って米国を難ずるわけではない。たとえば、フランスが米国の一国主義を国連の場で批判する時、普遍的な多国間主義ではなく、主要な大国間のゲームたる多極主義に立っているとする。米国の単独支配への従属を拒否する自立的欧州のため、国連の普遍主義を利用する。フランスもまた大国主義なのである。

 本書は多国間主義と集団的安全保障を好むが、終りの方で様々な米欧の議論を紹介し、今後の国際秩序再構築に際して、アイケンベリーやナイの「リベラルな現実主義」や聡明な優越者たる米国の観点を是としているように思われる。

小島ゆかり・評 『鴎外・茂吉・杢太郎…』=岡井隆・著

今はじめる人のための短歌入門 (角川選書) Book 今はじめる人のための短歌入門 (角川選書)

著者:岡井 隆
販売元:角川書店
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岡井隆の現代詩入門―短歌の読み方、詩の読み方 (詩の森文庫) Book 岡井隆の現代詩入門―短歌の読み方、詩の読み方 (詩の森文庫)

著者:岡井 隆
販売元:思潮社
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老いのレッスン―品格のある12人の日本人 Book 老いのレッスン―品格のある12人の日本人

著者:松原 泰道,小野田 寛郎,岡井 隆,石井 好子,メイ牛山
販売元:佼成出版社
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岩波現代短歌辞典 Book 岩波現代短歌辞典

著者:岡井 隆,三枝 昂之
販売元:岩波書店
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◇『鴎外・茂吉・杢太郎--「テエベス百門」の夕映え』
 (書肆山田・5040円)

 ◇「大都」たる創作者三人の森へ分け入る
 サブタイトルは、杢太郎が鴎外を評した言葉「森鴎外は謂(い)はばテエベス百門の大都である」に由来する。テエベスとは古代エジプトの首都テーベのことらしい。そして著者は、杢太郎も、さらに彼らとさまざまな関(かか)わりをもつ茂吉もまた、容易には全貌(ぜんぼう)の見えてこない百門の大都テエベスであると語り始める。

 三部構成の本書の大半を占める「1」の部分(歌誌『未来』に連載された評論)について、「あとがき」で次のように記す。

 「ここでわたしが話そうとした物語の主人公は、鴎外森林太郎、太田正雄こと木下杢太郎、そして斎藤茂吉の三人である。(中略)しかし、物語の本当の主役は〈時代〉の雰囲気だったのではあるまいか。明治という時代が終り、大正時代が始まる。そして第一次世界大戦に入って行く。簡単に一つのコンセプトでは律し切れない過渡期である」

 それはそのとおりであろう。しかしこの「〈時代〉の雰囲気」という言葉にこめられた思いはそう単純ではない。たとえば、「鴎外論」「茂吉論」「杢太郎論」など個々の評論では見落としてしまうもの、また三人をめぐるエピソードの集積では届かないものがあることを、著者ははっきりと意識している。

 本書に先立って刊行された『「赤光」の生誕』(書肆山田)、『歌集「ともしび」とその背景』(短歌新聞社)との三部作をもって示した評論のスタイルは、分析し検討し構築してゆく多くの評論とは異なる。むしろ回り道寄り道をしながら、著者自身の磁石をもって森の内部へ分け入ってゆくような方法である。なぜなら、創作者の内部を突き動かす得体の知れぬ情熱は、しばしば年譜の行間の空白に、作品の背後の暗闇に潜んでいることを、著者は体験的に熟知しているからだ。そしてわたしは、岡井隆にもっともふさわしいと思われるこのスタイルが、いよいよ豊かな実りをもたらしたことに深い敬意を覚える。

 分厚い本だから、簡単に要約することなどできないが、少しだけ内容にふれておこう。

 まず、鴎外の「我百首」の全注。用語を含めて難解なところの多い鴎外の短歌に対する独自の鑑賞が興味深い。そして「『我百首』が、定型の短歌でありながら、訳詩のような匂(にお)いをただよわせているのは、案外その作られた時間(鴎外独特の時間)のせいかもしれない」と結ぶ「『ハアゲマン』の一夜」(ハアゲマンはドイツの演劇人)は、一篇のエッセイとして読んでもすばらしい。

 また、茂吉の第二歌集『あらたま』の中の祖母の死をめぐる連作の読み解き。現実には伯母であった「祖母」の歌における、事実と詩的虚構の問題。一方で『あらたま』をテキストとしながら、人間を超越する行為としての「瞑想(めいそう)」や「遊行(ゆぎょう)」について考え、さらに杢太郎の満州赴任へと論は進む。

 医学者であり文学者であった三人にとって、医業も文学もどちらも「生きる」ための副業(つまりディレット)なのだったと言い、しかし杢太郎だけが皮膚科学といった外科系の学問であったことが、衛生学者鴎外、精神病医茂吉とは違った条件を生んだのではないかとの視点は、同じく医学者であり、文学者である岡井隆ならではのものだ。

 杢太郎の友人山崎春雄を探(たず)ねる経緯が伏流水のように流れ、三十代以降、医師太田正雄の影にひっそりと息づいて長い夕映えの中に生きた詩人杢太郎の姿を浮かび上がらせる。

 アララギを源流とする前衛歌人、岡井隆もまた、わたしには百門の人に思われる。

小西聖子・評 『杉田久女--美と格調の俳人』=坂本宮尾・著

杉田久女 美と格調の俳人 (角川選書) Book 杉田久女 美と格調の俳人 (角川選書)

著者:坂本 宮尾
販売元:角川学芸出版
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◇極小の詩型に命を懸けた者の悲劇
花衣ぬぐや纏(まつわ)る紐いろ〓

 杉田久女その人を知らなくても、この句を知る人は多いだろう。高浜虚子は久女の句を「清艶(せいえん)高雅」と評している。たしかに艶麗なのだが、この句の視線の先には男性はいない。あえて言えば女性が向かっているのは鏡である。性愛に向かわないナルシスティックな「艶」であり、配された個々の言葉の鮮やかさが句の品格を支える。まあ、意地悪に言えば、洒脱(しゃだつ)とか枯淡という境地とは反対であるともいえるが、私は輝いて張りつめた久女の句が昔から好きだった。

 杉田久女は明治二三年、エリート官吏の娘として生まれた。父の海外赴任について幼時を沖縄や台湾など南国で過ごしたのち、女子教育の最高峰である東京女子高等師範付属高等女学校を卒業した。当時としては最高のインテリ女性である。結婚してからは小倉に住み、地方の中学の美術教師に満足する夫とはうまくいかなかったが、兄の手引きで俳句と出逢(であ)い、高浜虚子率いるホトトギス派の女流俳人として頭角を現す。

 彼女を有名にしているのは、その作品とともに、自分の句集出版をめぐる虚子との確執、同人からの削除とその後の人生の暗転の謎にある。久女は昭和二〇年十月に太宰府の精神病院である筑紫保養院に入院、二一年一月、五五歳で腎臓病悪化のために病院内で死去している。食糧事情の最悪だった頃(ころ)の精神病院の生活を想像するに、これが事実上は餓死であったとしても驚くにはあたらない。

 このような経緯から、文学研究者からも、また病蹟(びょうせき)学研究者からも、杉田久女の生涯はたびたび関心を集めてきた。

 本書の著者は、山口青邨の弟子にあたるという女性文学研究者である。本書はもともとは、二〇〇三年に富士見書房から刊行され俳人協会評論賞を受賞し、今回角川選書として刊行された。この本は久女の人物よりもむしろ「久女の珠玉の作品そのもの」をその作出の流れにそって論じ、多くの資料から、ホトトギス同人削除の問題について論じる。中には著者によってはじめて取り上げられている資料もある。ていねいな久女の俳句鑑賞の書としても、女性の評伝としても興味深く読める。

 花衣の句とともに、久女最高の句の一つとしてよく挙げられるのが四〇歳の時の句、

谺(こだま)して山ほととぎすほしいまゝ

である。句は、大阪毎日、東京日日両新聞の主催、虚子の選による帝国風景院賞(金賞)を取った。著者はこの句を次のように描く。

 「一句は自然を写しながら、その背後にこの聖域の清浄な空気のなかにひとり佇(たたず)み、心洗われる思いで鳥の声に耳を傾けている作者の姿を浮かび上がらせる。翼を持つものの自由さに羨望(せんぼう)と憧憬(しょうけい)を抱き、いつしか鳥と一体化している心のありようまで伝わってくるのである」

 何らかの精神病が途中から彼女を冒したのだとしても、そんなことは、芸術の価値にはかかわりないのが普通である。ムンクが統合失調症になったから「叫び」の絵は価値がないなんて誰も言わない。

 「創作者としての久女の悲劇は、作品の評価を自身で見極めることがむずかしい俳句という極小の詩型に命を懸けた者の宿命だったのかもしれない」と著者は言う。

 結社の「家父長」が作品の評価を握る特殊な世界。そこから逃れることもできず、かといって制度の中に埋没することもできない状況が、久女の悲劇を一層際立たせたのである。

沼野充義・評 『赤い星』=高野史緒・著

赤い星 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション) Book 赤い星 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

著者:高野 史緒
販売元:早川書房
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アイオーン (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション) Book アイオーン (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

著者:高野 史緒
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ムジカ・マキーナ (ハヤカワ文庫JA) Book ムジカ・マキーナ (ハヤカワ文庫JA)

著者:高野 史緒
販売元:早川書房
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架空の王国 (fukkan.com) Book 架空の王国 (fukkan.com)

著者:高野 史緒
販売元:ブッキング
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◇幻想都市に散る華麗な電脳の火花
 いったい、いつの時代に迷い込んでしまったのだろう、と最初から快いめまいのような感じを覚えさせられる。「大序」の舞台は、クレムリンの中の修道院。ピーメン老師と若い修道僧グリゴリーの間で交わされる会話からわかってくるのは、ボリス・ゴドゥノフが戴冠しようとしていることだ。つまり、十六世紀末のロシアの史実に基づいているわけだが、不思議なことにこの世界ではインターネットが異様なほど高度に発達している。そして、日本はロシアの属国となり、江戸の将軍職は残っているものの、事実上ロシアのマフィアたちの群雄割拠の状態になっているらしい。だとすると、いわゆる「歴史改変」ファンタジーの一種だろうか。

 本編に入ると、舞台は一転して、ロシア支配下の江戸の町。町娘おきみは吉原きっての花魁(おいらん)、真理奈に呼び出され、「あたし、モスクワで皇后になるわ」と宣言され、江戸に潜伏しているらしいドミトリー皇子の情報をさぐるよう頼まれるのだ。この皇子とはイワン雷帝の息子のことだが、じつはずっと前にボリス・ゴドゥノフによって暗殺されたはずで、最近現れたのはどうやらにせものの「僭称(せんしょう)者」らしい。

 こうして小説は、きらびやかな吉原の風俗と、そこを闊歩(かっぽ)するロシア・マフィアらしき怪しい男たちという途方もない組み合わせに始まり、読者をあれよあれよという間に、見たこともない不思議な時空間に引き込んでいく。その後の展開は簡単にはとても要約できないくらい、多くの素材に彩られていて、バロック的奇想で飾られた絢爛(けんらん)豪華な画面を眺めているようだ。

 この架空の日本では、ロシアの首都ペテルブルクが世界で一番魅力的な町として人気が高く、皆がこの町に憧(あこが)れる。コンピューターのディスプレイが映し出す人気クイズ番組では、司会者の大黒屋が「ペテルブルクに行きたいかー?!」と人々を煽動(せんどう)する。しかし、おきみにはペテルブルクに人一倍行きたいと思う別の理由があった。幼馴染(なじみ)の龍太郎がこの町で消息を絶ってしまったのだ。そこで彼女はオンライン・ゲームの仮想空間の中で、自分の分身(アヴァター)を「現実の」ペテルブルクに送りこみ、そこで謎の「赤い星」到来の噂(うわさ)を聞き、正体不明のケーニヒ博士と接触する。そしてこの後、物語は江戸とペテルブルクで交互に展開していき、最後に択捉島のロシア正教修道院でのあっと驚く謎解きを迎える(それは読んでのお楽しみ)。

 それにしても著者のロシアに対する入れ込みようは驚くべきもので、本書で使われるロシアのいわゆる「動乱」(スムータ)の時代の背景は、プーシキンの詩劇『ボリス・ゴドゥノフ』を全面的に踏まえているし、表題になっている「赤い星」は、ボグダーノフによる火星を舞台とした先駆的な共産主義SF小説のタイトルそのものだ。

 だが、おそらくこの小説でもっともロシア的なのは、ペテルブルクという比類なく美しい都市の深い幻想性を基本的なモチーフとしている点ではないだろうか。沼地の上にピョートル大帝によって人工的に建設されたこの近代都市には非現実感がつきまとい、ロシア文学ではプーシキンからゴーゴリ、ドストエフスキー、ベールイにいたるまで多くの文学者が「幻想都市ペテルブルク」という主題を発展させてきた。高野史緒はその伝統を電脳空間の想像力によって引き継ぎ、サイバーパンクSFをロシア文学にいわば接合させ、火花を散らした。なんとも楽しく華麗な火花ではないか。

藤森照信・評 『森の力--育む、癒す、地域をつくる』=浜田久美子・著

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◇五感がバランスよく刺激される場
 森をなんとかしよう、と志ざす人は少なくない。四手井綱英が“里山”という魅力的な概念を作ってから、森と日本人の関係に思いをいたす人はますます増えている。

 浜田久美子さんもその一人で、精神科のカウンセラーを経て森に目ざめ、森をテーマとする著述業に転じたのだという。

 森の力。いい題の本だ。5章目が「森の恵みを生かすビジネスを--森林バイオマスの可能性」に当てられている。バイオマスとは、生物由来のエネルギーのことで、森の木をエネルギー源として活用しようという動きは、全国的に盛り上っている。昔だと薪として燃やしたが、今は、間伐材をはじめとする森から伐(き)り出した大小さまざまな木を細かく砕いてカリントウのように固め(ペレットという)、新型ストーブで燃やす。ような動きが盛り上っているのだが、私は悲観的だ。

 先日、自分の山を持つ岐阜の製材所で聞いたが、ここ数年、薪ストーブ用の需要が大都市で急増し、やれナラの太割りしてくれ、香りがいいから山桜はないか、などなど昔では考えられないような要求に宅急便でせっせと応えている。利は大きいそうだ。

 著者の志とはずれるかもしれないが、森の恵みを生かすビジネスとしては、ペレットではなく、ナラの太割りや山桜の方ではないか。

 7章、8章は、地域産の木材を使う建築家たちの姿が登場する。地域の山から伐り出し、地域の製材所で挽(ひ)き、地域の大工さんが使う。現在、世界でこんな幸せな状態が、昔にくらべれば縮小したとはいえまだ続いているのは日本だけ。だいいち、21世紀の現在、木材を建築の柱や梁(はり)に自由に使えるのは、日本、北米、北欧の三地域だけ。三地域以外では、人肌にやさしい貴重な木材を、柱や梁に使うような狼藉(ろうぜき)は許されず、家具用がもっぱら。

 山から、伐って挽いて使う。他国から見れば夢のようなこの幸せな三拍子は、実用的なビジネスというより、文化的、芸術的な営みへとしだいに変ってゆくのではないか、と私は見ている。

 著者が語る森の力のうち、鮮度がありかつ明るい気持ちで読めたのは、1章、2章の教育施設としての森の話しだった。森を、学校や教室として考える。60年代にデンマークで始り、現在は日本でも試みられはじめたそうだが、森の教育効果など考えたこともなかった。

 冒険心が増すとか気持ちが落ちつくとか、そんなことではなく、コミュニケーション能力の向上がいちじるしいらしい。

 「森では、人間の五感が個別にも、総合的にも刺激される。そのベースは自然のもつ圧倒的な素材・機会の多様さだ。これにはどんな刺激的なおもちゃ、ゲームを駆使してもかなわない質と量がある。しかも、森は刺激に満ちているがどれかが突出することなく、マイルドである。だからバランスよくすべての感覚を刺激してくれる。そんなふうに五感を刺激し、かつ、何かが突出することのない場で、喜怒哀楽すべての感情をいいも悪いもなくありのままに出せること。さらに、適度な距離で受け止めてくれる大人がいること」

 こうした状態が元になって、子供は、自分の気持ちと他人の気持ちの両方をしだいに推し量るようになる。

 日本は、町や人里と森の距離が近い。山地70%、平地30%という火山列島の地形がそうさせるわけだが、幼稚園、保育園から大学まで、森を学校として考える方向はあって欲しい。

富山太佳夫・評 『禿頭礼讃』=フィリップ・エリアキム著

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◇『禿頭礼讃(とくとうらいさん)』
 (河出書房新社・1680円)

 ◇悩みと苦しみの自伝的エッセイ
 フランスのパリ発の愛の小説である。主人公の青年はジャーナリストをめざし、やがてその願いを実現させる。時代的にはミッテラン大統領の登場する頃(ころ)の話で、「私は彼に投票し……彼の勝利を祝ってバスチーユ広場で踊りまくった……私は、当時大まじめに言われていたように、社会を変えたいと思った。貧しさを撲滅し、銀行を国有化したいと思っていたのだ」。

 金融不況のあおりをうけて銀行の国有化が取沙汰(とりざた)される時代の中で読むと、なんだか奇妙な感じのする一節ではあるが、これは一九八〇年代の話。それはともかくとして、パリ発の愛の小説であるから、主人公は何人かの女性と出会い、ひとりの画家の女性と同棲(どうせい)し、別離し、ということになる。時代の雰囲気も多少は伝わってくるし、西欧の古典への言及も少しはあるし、私の大好きなサッカー選手ジダンの名前も出てくる。全体を貫くのは主人公の強烈な苦しみと、そこから希望へと脱出してゆく姿である。

 ただ、こう紹介すると、なんだ、平凡な小説じゃないかと言われかねないが、それは違う。これはきわめてユニークな作品である--主人公がハゲなのだ。ジダンの名前が出てきて当然なのだ。

 正確を期すならば、二十三歳の主人公が脱毛の恐怖に直面し、映画俳優ユル・ブリンナーや思想家フーコーのような頭になることにおびえ、カツラの着用へと脱出してゆく物語である。本当は、自伝的なエッセイに近い作品というのが正確かもしれないが。カバーに載せられている二枚の写真を見ると、カツラの着用、無着用にかかわらず、著者は好人物という印象をうける。

 実のところ、ハゲほど論じにくいものはない。それはどの時代のどの社会にも見られる現象で、何でもないと言えば何でもないし、笑いやユーモアの種になることもあるし、耐えがたい苦痛のもとになることもある。例えば、テレビの画面に映る東国原知事や芋洗坂係長がハゲを笑いのネタにされて落ち込むとは思えないが、コマーシャルになると、育毛剤、発毛剤、カツラを宣伝するものが嫌になるくらいに流される。まるで毛髪コンプレックスをたれ流しにするかのように。そして、そのあとは、またお笑い芸人のネタ連発。どこかの新書から『ハゲの品格』という本でも出したらどうだろう?

 『禿頭礼讃』の帯には、「抱腹絶倒の……」と印刷されているのだが、私はこの本を読みながらただの一度も笑わなかった。「スープに落ちる髪の毛の一本一本が、引き裂かれた愛の花びらだった。脱毛に一ミリ領地を奪われると、それは別離と荒廃への一歩接近を意味した。……いずれは乾いた皮袋しか残らないだろう」。これはユーモアなのだろうか。禿頭でない人には笑える一節かもしれないが、それでは、今現在脱毛の進行に悩んでいる人にとってはどうなのか。この本を読みながら私が体験したのは、正反対の二つの反応の中間で迷うという感情であった。決して抱腹絶倒ではない。フランスの作家ジュール・ルナールの「毛が抜ける。すると虱(しらみ)はつかまるところがなくなる」という言葉にしても、同じこと。

 読者がそうした反応をすることを、作者は多少なりとも了解していたはずである。全篇に書き込まれた禿頭の歴史、イカサマ治療法、人的関係の悩みやトラブルの数々。この悩みと苦しみの自伝は、似たようなルートを通過せざるを得ない人々へのユニークな贈り物ではないだろうか。勿論(もちろん)、毛のある人間も読むべき本であることは間違いない。(酒井由紀代・訳)

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